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リレーエッセイ

コケの鋳物

埼玉大学名誉教授
加藤 寛

 苔は日本人にとってなじみの深い植物で、君が代にも「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」とありますが、自宅の庭に苔を植えてまでして楽しもうという人は希です。筆者は以前から苔に興味を持ち、特に、樹枝状晶に似た杉苔が気に入っていました。そこで、大杉苔を何度か庭に植えたのですが、結局、全滅してしまいました。そこで次に、小杉苔を庭の木陰になる場所に植えたのですが、こちらもダメでした。どうも、苔にはそれぞれに適した場所があるようで、外から持ち込んだ苔は我が家の庭に生えてくれませんでした。その代わり、別の種類の苔が庭のあちこちに勝手に生えています。中でも、植木鉢に自生している苔は、写真1に示すように、いかにも丹精込めて育てているがごとくの見栄えで、毎日、水やりなどしながら楽しんでいます。


写真1 植木鉢に自生した苔

 苔は、生えては困る場所にも生えてくる厄介者でもあります。我が家の駐車場で隣家に接する部分が日陰になっているせいか、写真2に示すように、苔が生えています。晴れた日が続くと枯れるのですが、雨が降ればまた緑の絨毯の復活です。コンクリートが痛むと困ると思い、何度かスコップで苔を搔き取ろうとしたのですが、コンクリートの隙間に入り込んでいて、ダメでした。しかし、苔は日陰の部分には広がるのですが、その外側には出ようとしません。このため、冬の時期には苔の絨毯が広がり、夏には狭まります。まさに、「陰の中の小苔、大平原を知らず。」です。

 話は変わりますが、以前から歯の健康管理のため、半年に一度、歯科医院に行っています。最近も、歯石取りの案内状が来たので行ってきました。超音波スケーラーで歯に超音波振動を与えながら歯石を取っていくのですが、調子の悪い歯に先端チップが当たると歯が大きく揺れて、あまり気分のいいものではありません。下の歯を掃除した際には特に問題はなかったのですが、上の歯の掃除の際に異常が見つかってしまいました。クラウン(被せ物)の裾が欠けていて、このままでは虫歯になる恐れがあるので修復しましょう、と言われ、泣く泣く歯を治療しました。今回は、クラウンの欠けた箇所を掘ってその中に詰め物を入れるというものでした。クラウンやインレー(詰め物)はセラミックスや金属で作られていますが、特に金属製のものは遠心鋳造や削り出しで作られてきました。遠心鋳造は、工場で用いるような大掛かりな遠心鋳造装置とは異なり、小さな鋳型を振り回しながら溶けた金属を流し込んでいく、というものです。ところが、最近、新しい製造方法が開発されました。3Dプリンターを用いた積層造形法です。この方法では鋳型を必要とせず、歯型からクラウン成形用の3Dデータを採取し、金属粉を溶解・積層していきます。積層造形法は一般に時間がかかるので、同じ形状の製品を大量生産するのではなく、クラウンなど、それぞれ異なる形状の製品を単品生産、あるいは少量生産するのに向いています。今後、医療用や歯科用などを中心に、個々の使用者に合わせた製品の製造に多用されるようになるでしょう。機械などの鋳造分野でも、試作段階ではその製造数が限られるので、3D積層造形法の利用が増大していくのではないか、と予想しています。


写真2 駐車場に広がった苔

 話がずれました。苔と鋳物の話に話題を戻しましょう。苔と鋳物についてインターネットで調べていたら、苔を背中に乗せたハリネズミの青銅鋳物が高岡の鋳物屋さんから販売されているのを見つけました。まさに「苔と鋳物」といったところです。ちょっとした置物ですが、このような遊び心を持った商品が作られているのはうれしい限りです。そう言えば、(株)キャデットの橋本一朗さんがアルミニウム合金製のPCマウスを製造・販売していることを思い出しました。金属製のPCマウスを、しかも鋳物で作るという話を聞いた時は、その発想のユニークさに少し驚きましたが、今から考えると、橋本さんに先見の明があったのでしょう。最近では、先の見えない研究は大学でもあまり行われなくなってきたようですが、遊び心を持って仕事をすることは何時の時代でも重要なことだと痛感させられます。

 ところで、苔にはいろいろな種類があり、それぞれ異なった様相を見せます。例えば杉苔では小さな幹に小さな葉がビッシリ付いて、杉苔の群れはまさに小さな杉林を連想させます。これに対し、銀苔では直接小さな葉が伸びていて、草叢のようです。更に、銭苔では舌のような葉が四方に広がっています。いずれにしても非常に細かな造作で、このような細かな細工は鋳物では難しいかなとも思われるのですが、最近の微細鋳造技術の進展を考えると、この程度の微細鋳物を作ることは可能でしょう。どなたか、遊び心で「苔の鋳肌を持った鋳物」を作ってみようという奇特な方はいませんかね。ただし、その実用的な価値は筆者には分かりかねます。