芦野宿を出て、枡形を西へすすむと国道のバイパスにぶつかる。ここを右折し、柳の植えられたバイパスを北に向い、田畑の中を数分も行けば「遊行柳」に出る。
西行や一遍を慕う芭蕉が「奥の細道」の途中、芦野に立寄り「田一枚植えて立ち去る柳かな」の句を残した。現在の柳は何代目なのか知らないが、柳を囲んで根元には、西行の歌碑、芭蕉の句碑、蕪村の「柳散 清水涸 石処々」の句碑。そして遊行柳についての説明の石碑などおびただしい数の石碑が立ち並ぶ。遊行柳をみて板屋から高瀬までは旧道を歩く。峠に近づくにつれ、道幅は次第に狭くなる。峠手前の栃木県側には「境の明神」がある。松尾芭蕉が奥州に第一歩を印したのはこの境の明神である。
芭蕉はここから北へ約800m先の白坂宿の入口近くから東へ折れて山あいの小道を通って、東方約4キロの畑宿に入り、白川の関を訪れている。近世の奥州道中は国道四号線と旧陸羽街道294号線が合流する白河の女石であることを聞き、最終到達地の女石を目指す。 |