関東支部の活動

研究

日本鋳造工学会関東支部第71回講演会

日本の鋳物の歴史を調べて

山田 泰生 氏

山田 泰生 氏 平成17年8月5日(金)東京工業大学、大岡山キャンパス西9号館 2階 コラボレーションルームにて「日本のいもの」と題する元日立金属(株)の山田泰生氏による関東支部第71回講演会が開催されました。
  山田さんは日本の鋳物の歴史を色々調べられ「日本のいもの」という本を最近出版されました。日本の鋳物の歴史を鋳造所遺跡や遺跡からの出土品などを詳細に分類し、また鋳物師の歴史としてもまとめられたものです。これらの学生時代からのライフワークを伺いました。

 日本への鋳物技術は、中国や朝鮮半島からもたらされたと言われています。中でも朝鮮半島の高句麗、百済、新羅などの戦争で、多くの人々が難民として日本に渡来しその中に鋳物師もおり、日本の鋳物の礎を築いたものと述べられた。日本では、3世紀頃銅鐸から始まり、刀剣、仏像、梵鐘、貨幣などに鋳物が進展していったと推察されています。銅鐸は製造自体が300年間と短く、初期は10数cmと小さかったものがどんどん大きくなり最後は1m50cmくらいの大きなものまで作られた。銅鐸の鋳物製造蹟は、現在の関西地方が8カ所ついで九州地区で4カ所であるが、この九州で銅鐸の出土が見られない。また、墓の埋葬品にも銅鐸がないなどから、これは祭祀に用いられたものでなく、貨幣のような権力の象徴などではないかと推量されています。初期の大仏は一体物も多かったが、削り中子の中空物が作られるようになり、8世紀に削り中子の最大の東大寺の大仏が鋳造された。梵鐘は早くから製造され、引き型で現在と同じ製造法が早くから確立された。貨幣は958~1636年まで鋳造されない空白期間が存在した。その後時代と共に生産品目は増え、茶釜、灯籠、天水鉢、位牌、鉄砲、大砲などが現在まで残って伝えられている。生活に関連する鍋釜や農具などは現存するものがほとんどなくいつ頃から制作されたか推定するのが困難であるそうです。そして、現在の鋳物産地である高岡、水沢そして川口で鋳物の生産が始まったのは18世紀になってからだそうで、日本の鋳物の始まりがうかがい知れた講演会でありました。