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リレーエッセイ

「凹んだ氷」(1/2)

早稲田大学理工学部
物質開発工学科 材料組織学研究室
各務記念材料技術研究所 兼任研究員
吉田 誠

 夏も盛りになると、照りつける日差しと、むんむんとした都会の熱気をさけるために、ちょっと喫茶店でアイスコーヒーを注文したくなる。さもなければ「百円コーヒー!」とか看板が出ている立ち飲みコーヒーショップに駆け込みたくなる。ストローでカランカランと氷をかき混ぜていると、なぜか四角い氷の一つの面が凹(くぼ)んでいる。家庭の冷蔵庫では、凹んだ氷が出来た例しはない。ところが喫茶店で使われている氷を見ると、しばしば凹んだ氷が出てくる。これは一体どうしたわけだろう。

 振り返って子供の頃を思い出すと、小学生や幼稚園くらいの頃は、さすがに喫茶店に逃げ込む趣味もお金もないので、スーパーマーケットか今は絶滅しかかっている駄菓子屋に行って氷菓子を買ったものだ。そして、ぎらぎらした日射をものともせずに、また遊びに専念した。今でも、そんな光景を少しは見かけるだろう。その氷菓子の一種で、いわゆる「ちゅーちゅー」と呼ばれる類のものがある。長さが三十センチくらい、直径が三センチくらい、真ん中がちょっとくびれたビニールのチューブに、いかにも人工的な蛍光色がついた氷菓子のことである。一刻も早く冷たく甘い汁を吸い出すために、手のひらで温めたりしたものである。ところが、どういうわけか最初は甘い汁が出てくるのだが、終(しま)いのほうになるにつれて、水っぽくなってくるが、「これは一体どうしたわけだろう。」と子供ながらに思ったものだ。もちろん、これにはわけがある。

 話は変わって、高校生の頃を思い出すと、中間テストやら期末テスト、夏休みや冬休みのあとには、ご丁寧に実力テストなるものまであって辟易としたものだ。三年生になると、ふつう理系と文系に分かれる。理系を選択したが、それでも日本史と世界史の授業があった。先生に理由を尋ねると、「理系でもこれからますます歴史の知識が重要になる」ということだった。なるほど!そうかもしれないと感心してはみたものの、結果は教科書に額の油を付けただけだった。どうして眠くなるのだろうか。西暦何年に、どこで何が起きたということが、脈絡が理解できないのでさっぱり覚えられない。例えばローマの皇帝は初代がネルバ次はトラヤヌス、ハドリアヌス・・、中国の王朝は、夏に始まって殷、周、秦、漢・・・。真偽はともかく焼き付いたこともある。しかし、ほとんどは百回くらい念じても覚えられない。同情してくれる貴兄もおられると思う。ところが記憶力の優れたクラスメイトは、一晩で試験範囲をほとんど丸暗記したばかりではなく、数学の問題集に載っている問題と解答例を全て暗記して満点を取ったりした。これにはショックを受けたが、彼は弁護士になったそうだ。さもあろうと思った。

 工学部で学部生に接していると、勉強というものは、やはり覚え込むものだと思っている傾向がある。これは、高校時代に記憶型勉強を強いられた後遺症だと思われた。しかし、大学の講義・教科書を見ても、「◎◎は××でアル。」と覚えなさい。という教え方は多い。あるいは、解き方を丸暗記して単位を取るという方法は、ほとんど高校と変わらないだろうと思う。そもそも、入学試験や大学の定期試験で、解けるか解けないか分からない問題を出して、回答の独自性を試す先生は皆無といってよい。採点が大変になるという理由もあるだろう。

 卒業論文に着手した大変優秀な成績の学生でも、卒業の時点で「工学は面白い」という回答を得るには至らなかった。教育スタッフの力不足もあるだろうが残念である。一方で、成績がかんばしくない学生が博士課程への進学を希望することもある。大学四年生までは、相変わらず記憶解決型の教育がなされていると見ている。であるから、学部の成績とものづくりに興味を持って伸びる学生との相関関係は低いのだろう。これは中学、高校、大学に至って十年間以上、解法記憶型の教育に偏重していることを裏づけるのであって、そういう教育システムを変えられないでいる我々の問題であると考えている。

(つづく)