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リレーエッセイ

奥会津に魅せられて

日野自動車(株) 井田 雅也 氏

(国鉄只見線 第四只見川橋梁 1973年11月4日)

 「へぇ~ あんちゃん、ちしゃが珍しいんかい?このてっちょうなら、ここの先だよ」会津弁を操る(?)親切なおばさんに尋ねた第四只見川橋梁。親父の2眼レフKONIFLEXに、夢中でコダックのフィルムを充填した。昭和48年(1973年)高校1年生だった。

 国鉄(現JR)只見線、JR東日本の路線でもワースト5に入る赤字路線、福島県会津若松から日本有数の豪雪地帯を走り、新潟県小出を結ぶ直行列車は一日わずか3往復、135Kmを4時間半余りかけて走る。赤字路線切り捨ての理念からすれば、国鉄民営化の時に廃止を余儀なくされただろうが、福島-新潟県境の豪雪による冬季国道閉鎖の代替交通機関の役目を担い、現在もJR東日本のお荷物になりながらも存続している。

 2008年には「沿線の紅葉の美しい鉄道」日本No1にも選ばれた。16歳の当時から、只見の秋は11月3日と決めていた。うとうとしたまま県境のトンネルを抜け、目に飛び込んできた車窓からの眺めは、錦織りなす・・・という表現そのものだった。

 それから40年余、周囲の道路事情は大きく変わったが、自分の青春の原風景は殆んど変わらず、只見川の流れに溶け込んでいる。


(第一只見川橋梁 1992年11月2日)

 今年、NHKの大河ドラマ“八重の桜”で会津はその歴史を全国に紹介され、多くの観光客が会津若松市を訪れた。ストーリーは既に戊辰戦争を過ぎて会津を離れてしまい、移り気な視聴者の関心も薄れてしまうのかなと思う。
しかし、奥会津が最も美しい季節は、まさにこれからである。紅葉、温泉、只見川の流れ、そして10割蕎麦、きのこをはじめとした山の恵み。雪に閉ざされる前のこの季節が最も輝く時であり、是非多くの方に一度訪れていただきたいと思う。

 2011年、この年が福島にとって大変な節目であった事は衆知の事実であるが、会津地方にとってはその陰に隠れて知られていない大きな災害があった。

 2011年7月豪雨、100年に一度と言われる“経験したことの無い雨”が降り、只見川に掛かる8本の橋梁のうち、第6と第7は完全流失、第5第8も大きな損傷を受け、その区間は、現在も復旧の目処が立たないどころか、廃線になる可能性が高い状況である。

 誰にでも忘れられない情景と重なる歌があると思う。今、橋脚しか残っていない第7鉄橋脇のあぜ道に立ち、荒地に還りつつある路床を眺めると、40年前に渓谷にこだました汽笛と、The Rolling stonesの「悲しみのアンジー」がピッタリはまり、頭の中を駆け巡る。

 そして、未だにあの時に撮った写真を超えられない自分がいる。


(1974年5月6日  当時只見線と兄弟の国鉄会津線 この場所は今、ダム湖の底に眠る)